東大における女性の歴史

保井コノ

最終更新: 2022年3月19日

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保井コノは1880年に香川県で生まれた。両親の勧めもあり、18歳で女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)に入学し、そこで彼女のキャリアの大半を捧げることとなる理学を学んだ。1905年には同校初の大学院生となり、女性研究者の草分け的存在として動物学を専攻した。その1年後、コイに関する研究を学術論文として発表し、日本初の女性科学者となる。

 

1907年に助教授として採用された保井は、植物の発生に研究対象を移す。その研究が東京帝国大学農学部(現東京大学)の三宅驥一教授の目に留まり、植物細胞の研究を指導してもらうことになった。これがきっかけとなり、1911年、保井は日本人女性として初めて海外(イギリス)の学術誌に論文を発表した。当初、保井の留学申請は、文部省から「女性が科学の分野で何か価値あることを成し遂げるとは思えない」という理由で却下された。しかし、東京帝国大学理学部教授の藤井健次郎の推薦により、「家政学の研究」を条件に、1914年に渡米することになった。保井はシカゴ大学、ハーバード大学で学び、1916年、日本の石炭に関する専門知識を身につけて帰国した。

 

母校の資源が限られていたため、藤井教授の協力を得て、学生の遺伝学実験の指導をすることを条件に東京大学で研究に従事できることになった。1927年、48歳のとき、保井は植物の炭化に関する重要な研究成果を認められ、東京大学から理学博士号を授与された。これは、東京大学に初めて女子学生が入学するよりも19年も前の出来事である。コノは約100の論文を発表する傍ら、専門的な研究を行う女子大学の設立を訴えた。保井の訴えは、1949年に母校がお茶の水女子大学となるきっかけとなる。

 

1927年に日本で女性初の博士号取得者となったとき、保井は次のように語っている。「私は幸いに、何者にも煩わされず、自分の好きな道をコツコツ歩いてまいりましただけでございました」。

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