東大における女性の歴史

東大初の女子学生

最終更新: 2022年3月19日

Inspost4.1.jpg
Inspost4.2.jpg

東大初の女子学生: 第二次世界大戦後、占領軍(GHQ)は、平和、自由、民主主義を目指し、日本に一連の法改正を課した。1945年10月、マッカーサーは「人権確保の五大改革」の一つとして、教育の自由主義化、婦人参政権を掲げた。1946年3月にGHQに届けられたアメリカ教育使節団報告書では、「日本の青年男女は,その能力に基いて,あらゆる程度の高等教育を受ける自由を持たなくてはならぬ」と述べられている。

 

同年、アメリカ教育使節団は日本側教育家委員会を「教育刷新委員会」へ再編成し、内閣総理大臣に申告した。当時東京大学総長であり、リベラルアーツ教育を積極的に推進した南原繁は、教育刷新委員会の副委員長を務め、新たな政策づくりに尽力した。教育刷新委員会はさらに、1947年に制定された教育基本法および学校教育法の基本計画を作成し、戦後日本における女性を含む教育機会の民主化の基礎となる。

 

このような背景から、1946年春から施行された「女子教育刷新要綱」に基づき、東大における女子の入学制限が緩和された。こうして、1947年度から、東京大学に初めて女子学生が入学したのである。女子受験者108人のうち19人が合格し、新入生の2.1%を占めた。この「第1期生」は、社会人経験者や既に子供のいる女性などさまざまな経歴を持っていた。

 

その中には在学中からピアニストとして活躍し、1949年に女性初の17名の学士号取得者の一人として法学部を卒業した藤田晴子、1950年に文学部を卒業後東大初の女性教授となった社会人類学者の中根千枝、1950年に法学部を卒業後労働省婦人少年局にて男女雇用機会均等法の制定に尽力した森山眞弓等が含まれている。

Inspost4.3.jpg
Inspost4.4.jpg
Inspost4.5.jpg
Inspost4.6.jpg
Inspost4.7.jpg
References.jpg