東大における女性の歴史

鈴木ひでる

最終更新: 2022年3月19日

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鈴木ひでるは1888年に愛知県で生まれた。父は8人の子供の教育に熱心で、秀鴎を含め全員が大学を卒業した。地元の高等女学校を経て、東京の日本女子大学校(現・大学)予科を修了、物理、化学、数学を専攻した。1910年に卒業した鈴木は、日本初の男性薬学博士で日本女子大学校化学教授の長井長義の助手として残り、1912年に高等学校化学教員試験に合格した。本業の傍ら、独学で研究を進め、夜間にはドイツ語や生薬学を学び、薬剤師試験に見事合格した。

 

その努力が実り、東京帝国大学(現・東京大学)医学部薬学科で長井の教え子であった近藤平三郎教授のもとで研究する機会を得ることができたのである。1932年、彼女は日本学術振興会から研究助成を受けることになった。アジア原産の小低木シソから発見した揮発性有機オイル「ペリレン」の研究により、5年間の苦心の末、1937年に49歳で日本人初の女性薬学博士となる。

 

しかし、その後まもなく第二次世界大戦が勃発し、研究を続けることができなくなった。この間、鈴木は防空壕の中でガスマスクを研究したり、エノキタケを栽培したりと、その場しのぎの研究をしていた。鈴木は、辻村みちよに次ぐ日本人2人目の女性農学博士である丹下梅子と親交があった。1944年、丹下が突然肺炎になったとき、自ら保証人となって丹下を入院させた。丹下はすぐに回復したが、その数日後、鈴木は熱を出して寝込み、56歳で急死した。研究者生活を支えてきた鈴木の妹の香代は、こう言った。「丹下先生のご容態を心配 しつつ自分が先に逝ったというのは、いかにも律儀な姉らしいと思えてなりません」。

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